佐藤小児科医院 電話042-441-2772 調布市西つつじヶ丘1-57-94
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はじめに

コラム

   見 守 る

 12月11日は父の命日です。2年ほど腎臓のがんで闘病生活をして64歳で旅立ちました。特別に優しい父でもなく、また父が一緒に遊んでくれたとか、何かを教えてくれたとかの思い出もありませんが、亡くなったという知らせを受けた時に、足が震え大変動揺したことを思い出します。父を失って初めて父の存在そのものが自分の安心と繋がっていたことに気づきました。ずっと見守ってくれていたということに気づきました。
 親は子どもが小さい時には子どもの先頭になり一から十まで、こっちこっちと誘導します。少し大きくなると子どもと横並びになって「どうしようか?どうしたい?」などと子どもの声を聞きながら子どもの出来ないところだけをお手伝いします。もっと大きくなったら「そうしたいならやってごらん」と応援しながら見守ります。親にとって、この「見守る」という行為は、地味で目立たなくて認められなくて子どもにも評価されなくて挙句の果てに…うちの親は何にもしてくれなかった…と思われるかもしれませんが親となったからには、一生をかけてやり通したいと思っています。
 「親」という字は、木の上に立って大きな視野で見る(見守る)と書きます。子育てを振り返ると子どもをお世話することやお手伝いすることは,「見守る」ことよりはたやすかったと思います。衣服の着替え一つをとっても着せてあげたほうが早くてぐずられなくて簡単です。朝起きのことでも起きるまで何度も何度も起こしてあげたほうが簡単です。目覚ましが何度鳴っても起きてこないで、遅刻をしそうになっても子どものために起こさないで待っているほうが親としての辛抱が必要でした。でもその辛抱の後には必ず子どもの「自立」が見えてきます。
 子どもの成長の過程で、やってあげるより手伝う位がよい時、手伝うより見守ってあげたほうがよい時・・・などいろいろな場面が繰り返されると思いますが、木の上に立って大きな視点で、子どもの自立を支えてあげていただきたいと願います。
 私には見守ってくれた両親はすでにこの世には存在しません。でもどんな時にも、どんな私でもじっと見守ってくださる大いなる存在を感じています。私だけではなくすべての方にいつも見守ってくださる大いなる存在があると思っています。その方は、いつも辛抱して辛抱して転んだ私が涙を拭いて立ち上がるのを見守って応援してくださるのを感じています。
 
  A Holy Christmas 






   
よいお年をお迎え下さい。
 
   大谷清照先生作品 


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