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思春期の戸惑い
思いがけない寒の戻りがあり、入学式に桜の花も咲いていて喜びもひとしおだった事でしょう。
幼稚園や小学校の入学式には、親子で手をつないでほほえましく晴れやかな雰囲気があふれていました。ところが中学や高校の入学式となると子どもはなんだか居心地悪そうに親の三歩後ろを歩いていたり、あるいはチャンスを見つけて親から離れて友達同士で一緒に居ようとしました。急激な我が子の変化に心の準備がなかった私は、いったい何が起こったのかと大変戸惑ったことを思い出します。
3月10日の日本経済新聞の佐光紀子さんのエッセイの中に(男の子の場合ですが)私と同じ気持ちが書かれていましたのでその一部を紹介します。
「絶対、おれに学校で声をかけるな」。出かける息子の背中がそう言っています。数年前、
反抗期のただ中に迎えた中学校の卒業式。まちがっても仲間の前で「○○ちゃん」
なんて呼ばれたくない、ということなのでしょう。式に行くと、よそのお宅も状況は似たり
よったりの様子。お母さんたちは廊下に固まり、荒ぶる息子たちを遠巻きに眺めていました。
(一部割愛)
ところが高校生のお兄ちゃんの卒業式を終えたお母さんが「大丈夫。高校の卒業式では並んで
写真が撮れるわよ」と笑顔で断言。「うちの子は無理」と口をそろえましたが・・・。はたして3年後、
彼女の言葉は現 実になりました。「お母さん悪いね。これ持っててくれる?」。荷物を渡す言葉の
なんと穏やかなこと。男の子ふたりの反抗期に振り回されている間、私を支えてくれたのは
「大変なのは18まで。もう少しよ」と いう子育ての先輩たちの言葉でした。
(まだまだ続きますが・・・)
このエッセイを読んでこんなことを思い出しました。中学三年生の運動会のことです。「絶対に来ないでくれ」 という息子。「学校からの保護者あての手紙はきちんと親に渡してください。来ないでほしいという希望は聞きま
したが、行くか行かないかはお母さんが決めます。」・・・。もちろん私は見に行きました。その代わり、自分からは声も かけず手も振らないと決めて行きました。ところが私の後ろ姿を見つけた息子が、嬉しそうに私の背中をポンとた
たいてにこっと笑ったのです。???(まさに???は私のその時の気持ちです。)運動だけが得意な息子は最後 のクラス別のリレーでアンカーを務め、2人を抜いて劇的な優勝を果たしました。私は先に帰り、夕食とお風呂の用
意をして待っていました。帰ってきた息子は、「お母さんどうだった?あそこは観た?あれはすごかったでしょ う・・・・・」と一人で興奮して喋りまくりました。確か「絶対に来ないでくれ」と言ったのに・・・・・と思いましたが思春期
とはこういうものなのかもと私なりに実感した一日でした。
この後も「来ないでくれ」とか「しないでくれ」とか親としては心さみしい要求を何度か出されましたが、そんな 時には息子の気持ちと親の務めをかんがみながら、「北風と太陽」の童話を思い出し、太陽の方法だったらどう
したらよいかと考えました。時には先輩お母さんの意見を聞いたり、新聞のコラムや投書のなかの親子の姿を参考 にしたりと戸惑いながら今日を迎えました。しかし18歳になっても思春期の嵐がおさまらないことも多々あります。
我が家も決して例外ではありません。
思春期は、身体的には大人でありながら心理的・社会的には大人になっていないという何とも中途半端で不安 定で矛盾と葛藤を抱えた時期です。そして不安・イライラ感・もやもや感・孤独感・自意識過剰・・・・・が現れる姿は様々です。親だけでは支えきれない激しいエネルギーがあります。何かのご縁で、そうした思春期真っ最中の子どもと身近に接する機会がある時には決して見捨てず、見守って、時には北風も必要なこともありましょうが、太陽となって遠くから温かいエネルギーを送り続けていきたいものです。
ようやくクリニックの庭も春らしくなり
ジューンベリーの花も咲きました。 |
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