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母が働くということ
私の母は女医でした。子ども心にいつもいつも母に対して「普通のお母さんらしいことをして欲しい」と望んでいました。しかし母は 「私は働いているのですよ!」・・・(出来る訳がないでしょう!)・・・という言葉で終わらせてしまいました。その当時は大家族で、おばあちゃんもいて日常生活にはそれほど不自由を感じませんでしたが、親子遠足や運動会などはいつもよそのお母さんに預けられ複雑な心境でした。
私が中学生になった頃、なぜか母は働くのをやめて家庭に入ることになりました。でも母は家庭の仕事(掃除・洗濯・料理)が苦手らしくほとんどしませんでした。その頃には、おばあちゃんも亡くなっていたので、私は中学生の頃から洗濯やお掃除、簡単な食事など、自分の事は自分でするしかありませんでした。片道1時間15分かけて電車通学をしていたので、日常生活の心配をしながらの勉強はつらいものがありましたし、心も満たされませんでした。その頃から「母のような母にはならない」と心に決めました。将来、働く母になっても家庭の事はきちんとしようと心に決めました。そしてあの言葉だけは・・・「私は働いているのですよ。出来る訳がないでしょう。」・・・決して言わない!!と心に決めました。
私は母と同じ職業を選び、縁あって結婚し2人の男の子の母になりました。家事をしない母ですから、出産のときの応援ももちろんありませんし、期待もしませんでした。そこで、「どなたか、お産の後に家事を手伝ってくださる方はいらっしゃいませんか」といったチラシを作りご近所に配りました。幸い、近くにお住まいの方のお母さんがやってくださることになり、なんとか乗り切ることができました。仕事に復帰するに当たっては、常勤となると当直や外来担当の仕事があり、突然に休むことは不可能に近いため週4日から3日のパート勤務で復帰しました。時間も9時から4時まででした。それでも仕事に穴は開けられないので、もしもの時の子預かりをしていただける家庭を2軒ほど確保し、夫にも時々は仕事を休んでもらって、何とか勤め上げる事が出来ました。その当時の私の働く理由は、(目覚ましい医学の進歩に取り残されない)ということでしたので、僅かなパート代は保育園の費用や時々病気で預かっていただくお礼に消え、公務員の夫のお給料があっても、月々の収支はゼロになることがほとんどでしたが、僅かずつでも勉強を続けられたことをありがたく思いました。仕事のない日は子ども達とたくさん遊び、また近所のお母さん達とも仲良くさせていただき私の目指した「ふつうのお母さん」を体験しました。お母さん業はとてもやりがいがあり、大切な役割で、しかも仕事をするよりも忍耐と創意工夫が求められる事を実感しました。心をこめて家事を続ける主婦の方を私は尊敬するようになりました。そうした方々が居られることでこの社会は潤いや豊かさがうまれるのだと思っています。
20数年前に開業医となりましたが、私のクリニックのスタッフは常に「普通のお母さん」をされている方々にお願いしてきました。家族の一大事の時には家族の事が優先できるような態勢で働いていただいています。学校の役員も率先してやっていただけるように働いていただきました。私も子どもの外せない用事の時は、(患者さんには申し訳ありませんでしたが、)仕事を休んで「お母さん」を優先させてきました。
これまでを振り返り、子ども達に対して「私は働いているのですよ。」を、やらない出来ない言い訳にしたかどうかを自己採点すると85点くらいかなと思います。(先ほどたまたま長男から電話があり、どうだったか聞いてみたところ、そう言うことはなかったと思うと言ってもらえました。うれしい!)生活も便利になり、常勤でバリバリ働くお母さんが増えています。頑張って働く事がいけないというのではありません。それぞれ置かれた立場や環境が違うのですから。でも時々は働く目的・働き方・母の代りは誰も出来ないこと・ふとした時に見える子どもの気持ち・10年たてば赤ちゃんは10歳になっている事・・・・などに思いを寄せていただけたらと願います。
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かわいい患者さんからいただいたラブレター
ゆっくりですが、この仕事を続けてきてよかった。 |
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