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エコー(こだま)を遣って
電車の中やクリニックの待合室から、子どもとお母さんのおしゃべりが聞こえてくる時があります。とても楽しく会話がやり取りされていて、それとなく聞いている私も幸せな気持ちになる時と、なんだか会話がちぐはぐで「お母さん、子どもの気持ちに寄り添ってあげてね。」と思わず言いたくなる(決して言いませんが・・)時もあります。
私は、マルガリータ幼稚園の園医をしております。そのマルガリータ幼稚園の母体である聖パウロ女子修道会発行の「あけぼの」という月刊誌があります。健診に伺った際に、偶然にその月刊誌の中で西内みなみ先生の書かれた「愛された自分に出会うとき」と題した記事に出会いました。その一部をご紹介してみたいと思います。
エコーをかける
エコーとは木霊(こだま)という意味ですが、相手から話しかけられたら、相手が何を言っているのかではなく、相手 の気持ちに集中して聴きます。そして、その気持ち、特に感情に寄り添ってそのまま返していきます。例えば、息子が中学生の時の母である私とのエコーを使った対話です。
息子「ただいま」
母(嬉しそうか疲れているかを聴き取りながら)「お帰り」
息子「あー疲れた、今日さぁ、部活あったんだよね」
母(疲れたと言っている割には嬉しそうなのを聴き取る)「そう、部活で疲れたんだ」
息子「うん、バレー部だからさ、先生にセッターやれって言われて困ったよ」
母(嬉しそうな気持に寄り添いながら)「そう、先生からセッターを任されて困ったんだ」
息子「もう、ボールがたくさん来るからたいへんでたいへんで」
母(たいへんと言っているのに嬉しそうな感情に寄り添いながら)「そう、ボールがたくさん来るから
たいへんだったんだね」
息子「うん、たいへんなんだよ。あー疲れた、晩ご飯は何?」
母「あなたの好きな豚カツ」
エコーをかける時には、相手の伝えてくる言葉に、何もつけ足したり、割り引いたりしません。ただこだま のように相手の言った言葉を繰り返すだけです。 (一部省略。)
このエコーには、私が相手を大切に愛しいと思っている気持を伝える力が、とてもあることを実感していま す。そしてエコーをかけてもらうと気づくのですが、本当に気持ちがよく、話し終えた後に、たっぷり聴い てもらったという満足感があります。
私は、お子さんがちょっとした心の問題を起こしてきた時に(登園を嫌がるとか、おなかを痛がるとか、心因性の頻尿がおこるとか、夜中にうなされるとか・・)このエコー(こだま)のお話をします。お母さんにゆったりした時間をつくっていただき、ゆったり接しながらもお子さんの気持ちに集中してお子さんとのエコーの会話を楽しみながら、お子さんの気持ちに寄り添っていただきます。続けていくうちにお子さんの気になっている事も何となくお母さんに見えてきて、自然と問題が解決することもしばしばです。思春期を迎えてだんだん言葉数が少なくなってきた時にも、丁寧にこのエコーの会話を続けていくことで、子どもの顔つきもだんだん穏やかになっていくようです。(私も、もっと早くこのエコーに出会いたかった!!)
人と人とのコミュニケーションの多くは、「言霊(ことだま)」で築かれます。時には自分の会話を振り返り、私の想いは伝えられたか、相手の想いをきちんと受け止められていたか、を客観的に見つめてみる意識も必要ですね。
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