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足りなさを用意する 私が育った時代は(ALWAYS 三丁目の夕日)の時代です。漫画の中や映画の中の描写は本当に懐かしく感じます。学校でも家でも色々な人たちがかかわり合い出入りしていたので、道を歩いていても、たくさんの大人が声をかけてくれました。群馬県の小さな町に住んでいたので、鍵のかかった家はほとんどなく、お昼御飯(といっても大体はお漬物と、梅干しの塩むすび、冷たいままのお味噌汁といった粗末なものでしたが)も遊びに行った友達の家で気軽に御馳走になりました。テレビのある家には、放送の時間になると、どこからともなく子どもや大人がやってきて、一緒に笑ったり泣いたりして観ていました。年に数回、東京の叔母の家に遊びに行った時には、不二家でお子様ランチとチョコレートパフェを食べられる事が何よりも楽しみでした。うれしくてうれしくてたまりませんでした。(足りなさだらけ)の子ども時代ですが、(うれしさだらけ)の子ども時代でもありました。 例年のように子ども達の誕生日が巡ってきますが、お祝いの食卓に何を用意しようかと献立に迷った事はありませんか?子ども達もそれぞれに大好物はありますが、物の豊かな時代になっているので、日常の食卓にもそれらはしばしば登場します。母として( 特別に!)と意気込んではみても、子ども達には普通にみえたと思います。一念発起して、子ども達のために、友人からショートケーキの作り方を教えてもらいました。そしてお誕生日に手作りケーキを用意した時には(これ本当にお母さんが作ったの!!)と喜んでくれた思い出があります。名店の高級ケーキよりも母の荒削りのケーキに歓声を上げたのです。 再び新聞の記事ですが学生寮をめぐって、こんなお話がありました。最近の学生寮は個室が基本で、トイレ・シャワー・冷暖房を完備して快適で便利なものが用意される傾向にあります。しかし三鷹市にある国際基督教大学では、共同生活の中から個の確立を基礎にした相互理解を深める力をつけることを狙って、新しい教育寮をあえて日本人と留学生の二人一組の相部屋制としたそうです。この自由な人間を教育するための不自由な寮で、新しい国際人が育ち始めているという内容です。不自由な寮で却って真に自由な若者が育っているといった記事でした。豊かさの中で育ってきた学生たちのために、あえて足りなさを用意して豊かな若者を育てていくという教育現場での取り組みに拍手を送りたいと思います。 次にNPO法人ニュースタート事務局を主宰されている二神能基さんという方を紹介します。二神さんは(ニート)や(ひここもり)状態の若者たちのために6つの「若衆宿」を作り、そこで共同生活をしながら若者たちの再スタートを支援する活動をしています。二神さんによると現代の若者たちは物に恵まれた環境で育ってきたので物欲が少ない(欲しいものを一つだけ言って と聞くと・・別に・・と返ってくる。)ことと、競争心が少ない(優しくてがつがつしていない。)ことが特徴的で、親の世代の上昇志向や勝ち組志向とは価値観が大きくずれてきているとのことです。そして他の人のために役立ちたいという願望は強く、ちょっと見目には何もしない若者のほうが、劣っているようにみえますが、見方を変えると、人間性という点では、豊かな生活や名誉を追い求めてがむしゃらに生きてきた親世代よりも、一歩進んで見える事もあると言っておられました。お子さんに将来の夢や希望、欲しいもの食べたいもの等何気に聞いた時に・・(別に)・・と返ってきたら豊かさを与えすぎかもしれません。 何もかも充たされている御家庭では、豊かで恵まれた環境を子どものためにと用意しすぎると、うれしい気持ちやわくわくする気持ち、楽しみな気持ち、感謝の気持ちがおのずと湧きあがりにくくなるといった弊害もある事を知ってください。豊かな家庭環境では、意識的に(足りなさを用意する)事も必要です。逆に、親の病気や、仕事上の問題、家庭の事情で、子どもに十分な環境を用意できない場合でも、その足りなさが子ども達の生き抜くエネルギーになると信じて、いまある環境を受け入れて、親子の力を合わせていけばきっと良い結果になると実感しています。 おかしな言葉ですが 「足りなさを用意する」の意味することがわかっていただけたでしょうか?
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