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お弁当の思い出 子育ての時代を振り返ってみて、私が母親として一番充実していたのはお弁当を作っていた頃です。 幼稚園、小学校、高校、予備校時代を合わせて12年作りました。私自身の中学生や高校生時代は給食ではなくお弁当持参でしたが、お弁当も作らない母でしたので、学校に行く途中のパン屋さんでサンドイッチや菓子パンを買ってお弁当の代りにしました。時には自分で作ったりもしましたが、家を6時半に出るので本当にたま〜にです。クラスメートに「どうしていつもパンなの?」と尋ねられた事もありました。その時、本当のことを言うのが恥ずかしくて「私、パンが好きなの」と思わず嘘をつきました。そして嘘をついている自分が嫌で二重に自分を傷つけていました。そんな体験が自分を後押しして、一生懸命お弁当づくりに取り組みました。始めは本と首っ引きでしたが徐々に手際も良くなり、時にはお母さん友達にヒントをもらったりしながら、なんとかお弁当を持たせ続けるが出来ました。 長い年月の間には、手に大怪我をして簡単なお弁当にならざるを得ない事もありました。私が入院・手術をして何としても作れない時もありました。幸い子どもも高校生になっていたのでその時はコンビニお弁当で済ませてもらいました。手術を終えて目が覚める直前に私の脳裏に最初に映ったものは、息子の大きなお弁当箱でした。私の潜在意識の中に「おいしいお弁当を持たせて学校に送り出す」という母親としての使命感のようなものがどんなに大きかったかを再認識しました。 地域の中学校でお弁当を継続するか、給食にするかの議論が持ち上がった事があります。私はこの議論でYESもNOも出せませんでした。もしお弁当になると、私のようにお弁当を作ってくれない母のもとに生まれた子どもは、少なくとも心が傷つきます。心づくしのお弁当を作ることで、あるいはそのお弁当を頂く事で人の心はより豊かになるでしょう。・・・・・結局は時代の流れで給食になりましたが、悲しい思いをする子どもが一人でも少なくなると思えば給食もありがたいと思いました。 お弁当を思う時、私には手術の直後にみた大きなお弁当ともう一つ忘れられないお弁当があります。K君が幼稚園で弟のS君が2歳だった時のことです。弟のS君が脱水で点滴をすることになりました。点滴は11時頃から午後4時頃までかかる予定でした。水曜日なので幼稚園はお弁当がなく、付き添うお兄ちゃんのお昼御飯がありません。お母さんに近くのコンビニで、何か買ってきてもらう事にしました。しばらくしてお母さんが帰ってきました。家に帰ってK君のお弁当を手早く作ってきたとの事でした。弟が眠りに入るとK君は嬉しそうにお弁当を食べ始めました。温かいご飯にふりかけがかかっただけのふりかけ弁当でした。「お母さんが作ってくれたんだよ。僕の大好きなふりかけだよ。」と言いながらとてもおいしそうに幸せいっぱいで食べていました。ポットには温かいお茶も入っていました。コンビニのおにぎりではなくこのふりかけ弁当に私はお母さんの暖かい愛情を感じました。もう小学校2年生になったK君が先日クリニックを受診したときに「先生、弟が点滴した時に、僕病院でお弁当を食べたんだよね。」と素敵な笑顔で話しかけてくれました。私だけではなくK君にとってもあのお弁当は心に残ったお弁当だったのですね。 (補足ですが、K君のママはお弁当づくりが上手で、時々かわいいお弁当の完成写真を見せてくれます) お弁当づくり真最中のお母さんへ、心よりエールを送ります!!
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