「世界平和の祈り」と私
「育」も今回で最後になります。このコラムの最後に「世界平和の祈り」について書いてみたいと思います。
「世界平和の祈り」は第二次世界大戦後に五井昌久先生により提唱されました。五井先生が昭和55年にご逝去された後は西園寺昌美会長に引き継がれ、この祈りによる世界平和運動がまさに世界的規模に広まってきているところです。(2013年には国連の本会議場において、世界各国の平和の祈りが捧げられました。)多くの方は「宗教」という言葉に大変敏感で、「宗教は怖い・嫌い」と反応する方がたくさんおられます。しかし「祈り」は宗教宗派を越えたもので、私たちの心の中にある純粋無垢な神様とひとつになった気持ちの表れのようなものではないかと思うのです。それはお願いでもなく、祈っている瞬間は、その祈りの波動が水の輪のように優しく静かに広がり、全てを慈愛で包み込んでいくように思います。
私が五井昌久先生の「世界平和の祈り」につながったのは、1999年10月10日に西園寺昌美先生の講演会を聞きに神宮會館に行った時からです。その当時、次男の思春期は大荒れで本当に大変でした。何を望んでどのようにしたいのかが、本人はもちろんのこと母親の私にも全く見えてきませんでした。暴言、時に暴力、反抗の数々、生活の乱れ・・・私には経験のない理解のできない息子の世界でした。私の誠意も言葉も全く届きません。その頃、私は乳がんの手術と抗癌剤治療の後遺症に苦しみ、ほそぼそながら診療も再開していました。まさに「八方塞がり」とはこんな状態を言うのかなと実感した次第です。そんな状況で、外出も気の進まない毎日でしたが、何故か出かけてみようと思いました。(こうしたご縁も神はからいと今では思うのです・・)講演会で昌美先生は「誰でも責任をもって自由自在に生きることの尊さ」と「祈りの世界」についてお話くださいました。講演会からの帰り道に、久しぶりに仰いだ空が真っ青で綺麗でした。八方塞がりと思っていたけれど天が(祈りの世界)が開いている!!息子も責任をもって自由自在に生きたらいいし、私も責任をもって自由自在に生きていこう!!と心の底から思ったのでした。それから毎日世界平和の祈りを祈り、息子の天命が完うされるようにと祈りました。すると半年も経たないうちに次男は家を離れ、自分なりに自分の生き方で生きていくことになっていました。
それからの私は、世界平和の祈りとともに歩んできました。毎月富士山の裾野にある野外会場で、世界各国の平和の祈りを捧げる行事があります。雨の日も雪の日も野外でお祈りします。大雪の日は体に雪が積もって雪だるまのようになりましたが、祈りの友と一緒なので197ケ国の平和の祈りを捧げきることができました。不思議なことに世界の平和を祈っていると、私の心も徐々に平和になってきているのに気づきます。行事のあとの昌美先生のご法話も、毎年出されるご神事(祈りのテーマ)も、地域で開かれる祈りの会も全て私の生きる指針になっています。今では五井先生につながるきっかけを作ってくれた次男に感謝もしています。
私は世界平和の祈りの道を進んでいますが、誰にすすめることもなくただひたすら祈りを捧げています。神様の大いなる愛(とてつもなく大きな愛)を信じていますので、必要な方には必要な時に神計らいで(祈り)に出会うようになっていると思っています。もしあなたが人生の中で私のように八方塞がりになった時には、天が開いていることを思い出してください。
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊様ありがとうございます。
守護神様ありがとうございます。 |
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白光真宏会のHPから五井昌久先生の書かれた「世界平和の運動精神」を引用させていただきます。
今からおそらく40年以上前に書かれたものと思いますが真理は普遍であることがよくわかります。
「世界平和の祈りの運動精神」を読む (PDFファイル:約176KB)
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